大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和45年(う)1660号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

〈前略〉

控訴趣意第一点(法令適用の誤の主張)について、

所論は、道路交通法第七二条第一項後段は道路上における危険が発生したり、道路交通の秩序に混乱が生じるおそれのある場合に事故を起した車両の運転者らに対し事故の内容を最寄の警察署の警察官に報告すべき義務を課したものであつて、本件の如く被告人の運転していた普通貨物自動車の後部が被害車両のボンネットに接し該部分に僅か十糎位の凹損を生ぜしめた程度の極めて軽微な物損事故で道路交通の秩序に何等の混乱が生じなかつたような場合にまで右報告義務が課されているものとは到底解し得ないから、本件の場合に原判決が被告人に対して道路交通法第七二条第一項後段を適用して処断したのは法令の解釈適用を誤つたもので、右誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、この点において原判決は破棄を免れないというのである。

よつて審按するに、原判決挙示の関係証拠に依れば、被告人は原判示の証拠関係に依れば、被告人は原判示第一の日時、場所に於て普通貨物自動車を運転し後退させた際、後方に停止していた本多豊秋(当時四十四歳)運転の普通乗用自動車の前部ボンネットに自車後部を衝突させ、該部分を損壊する交通事故を起したにも拘わらず、その事故発生日時、場所等法律の定める事項を直ちに最寄の警察署の警察官に報告しなかつたことが明らかである。而して右損壊の程度に付て、被害者本多豊秋は検察官に対し自車のボンネット及びシエールが破損し、その損害見積額は一万五千円乃至二万円である旨供述しており(同人の検察官に対する昭和四十四年十一月二十六日付供述調書第二項、記録三三丁裏)、また当審における事実取調の結果に依れば、同被害者の所属する大東交通株式会社に対し被告人は昭和四十五年六月二十六日に車両修理代として金一万六千五百円の支払を為していることが認められる。

所論は右損壊につき、被告人の原審第一回公判期日に於ける「ボンネットが横十糎位へつこんだ」旨の供述に依つて、その程度が極めて軽微であると主張するけれども、被告人及び被害者本多豊秋の各司法警察員並びに検察官に対する供述調書に依れば、被告人は本件物損事故を起した当時右本多が運転の車両に対して多少の損傷を与えたことはこれを薄々感知したもののその損壊の程度を確かめるため何等の措置をも採らない儘事故現場から逃走し、右被害者の追跡を受けたものであることが認められるから、所論の援用する被告人の原審公判廷に於ける右車両損壊の程度に関する供述は到底措信できない。

而して右損壊の具体的状況に関しては本件記録上これを詳らかに足る証拠はないけれども、記録に依れば前記認定のとおり修理を要する損壊であつて、その修理につき一万六千五百円の修理費を要したことはこれまた前記のとおりであるから、その具体的内容が明らかでないとはいえ、この損壊を目して然く軽微なものとは為し得ないものといわなければならない。

尤も本多豊秋の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書に依れば、被告人が本件事故を起した直後逃走を企てるや被害者本多豊秋は同人を追つて約十分間走行していることが認められるから、右事故に因る被害車両の走行に支障を来す程度のものでなかつたことは明らかである。

そこで、右報告義務は物件の損壊の程度如何を問わず存在するか否かについて、これを按ずるに、

道路交通法(以下法という)は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることを目的とし、該目的達成のため同法七十二条第一項は「車両等の交通による人の死傷又は物の損壊(以下『交通事故』という。)があつたときは、当該車両等の運転者その他の乗務員は、直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない。この場合において、当該車両等の運転者は、警察官が現場にいるときは当該警察官に、警察官が現場にいないときは直ちにもよりの警察署の警察官に当該交通事故が発生した日時及び場所、当該交通事故における死傷者の数及び負傷者の負傷の程度並びに損壊した物及びその損壊の程度並びに当該交通事故について講じた措置を報告しなければならない。」と規定している。

この規定の趣旨を前記道路交通法の目的に照して考えてみれば、交通事故により物件損壊があつた場合に警察官をして交通秩序の回復に即時適切な処置を執らしめんがため運転者らに前記のような報告義務を課したものであることは正に所論のとおりである。

しかしながら、右条項の文言には「損壊した物及びその損壊の程度並びに当該交通事故について講じた措置を報告しなければならない」と規定されており、報告の内容には単に「物件損壊の程度」のみならず「当該交通事故について講じた措置」も包含されているのであり、且つ報告の対象となる「損壊の程度」については何らの限定がなく、極めて軽微な場合は報告を要しないとされているわけではないのであるから、所論の如く事故に因つて生じた損壊の程度の如何によつて右報告義務を免れしめるものでないことは規定の文言自体からして極めて明白なところであるといわなければならない。そのうえ、この報告制度が認められた趣旨は、さきに説示したとおり、警察官をして交通事故の程度等を知らしめて即時適切な措置を執らしめるためであり、また法第七十二条第二項及び第三項において警察官が運転者らより交通事故の程度等につき報告を受けた場合その措置の当否を検討し道路における危険を防止するため必要があると認めていること等に鑑みると、法はいやしくも交通事故が発生した場合にはこれに因る物件の損壊の状況、道路交通の危険(その虞を含む)の有無、その状況等は最終的には警察官に確認せしめ、その判断によつて個々の事態に即応して適切な措置をとることを期待していることが明らかであるから、交通事故が発生した場合にはその軽重を問わず総て報告することを要するものと解するのが法の趣旨に適合する所以と考える。これを要するに右報告義務は交通取締の責任を負う警察官をして速かに事故発生の事実を知り交通秩序の回復に即時適切な応急処置を執らしめ且つ当該車両等の運転者らの講じた措置が適切であるか否か、さらに講ずべき措置はないか等を判断させて万全の措置を講じるのに資するものであるから、物件損壊の程度が軽微であつて交通秩序の回復にさして支障を来たさないと一応考えられるような場合に於ても、なお警察官が前記の立場から種々施すべき措置がある場合も無しとしないから、飽くまで報告は必要であり、事故を起した車両等の運転者らに前記報告義務を免れさせるものではないと解するのが相当である。

以上の次第であるから、本件の場合、被告人に右同条規定の報告義務違背の刑責ありとした原判決には同条の解釈適用を誤つた違法はなく、論旨は理由がない。〈以下省略〉(八島三郎 沼尻芳孝 中村憲一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例